第234回 意匠学会研究例会 発表要旨

■ ミシェル・ルグランの映画音楽 その機能についての一考察
倉田麻里絵/関西学院大学大学院

 作曲家ミシェル・ルグラン(Michel Legrand, 1932- )の映画音楽に関する研究は、楽曲分析や同時代の作曲家との比較研究から言及されることが多い。映画音楽の研究において、作曲家は主に映画監督の要求に応じる従属的な立場であるため、作曲家の創造性は映画監督の作家論や作品論に漠然と包摂される傾向にある。しかしながら映画音楽を作曲家の表現として考察するには、作曲家の意図が映画作品にいかに反映されているかを確認する必要がある。そこで本発表では、ノーマン・ジュイソン(Norman Jewison, 1926- )監督の『華麗なる賭け(The Thomas Crown Affair)』(1968)を採りあげる。本作はルグランが編集中のフィルムから得た印象で作曲した音楽に合わせて、彼と映画監督、編集技師で作品の構成を決めたといわれている。制作過程からもわかるように本作の音楽はアクションに合わせて作られたのではなく、物語内容と密接に関係づけられ作曲されている。それは、音楽の時間に映像を従わせたといわれるチェスのシーンや、歌唱曲がつけられたグライダーのシーンからわかる。これらのシーンには登場人物による台詞はなく、非物語世界の音(nondiegetic sound)としてつけられた音楽によって登場人物の重要な心境が語られる。映画の技法として、物語空間の外部から物語の情報や登場人物の思考を言葉によって伝える「語り」がある。本発表では、「語り」と同じ階層の非物語世界の音に位置する当該シーンの音楽がどのように語りとして機能しているのかを検討したい。この手法は、ルグランが監督を務めた実写(live action)とアニメーションのMichel's Mixed-up Musical Bird(1978、TV)でも用いられている。映画における諸要素の決定権を持つのは映画監督であることを前提に、音楽の構造が物語内容をいかに担っているかを明らかにし、ルグランの映画音楽の一側面を提示する。



■ クリストファー・ドレッサーの装飾デザインにみる色彩論の展開
竹内有子/尾道市立大学

 19世紀英国では産業革命に伴って色彩論への関心が高まり、染織品等の芸術産業で科学の応用が実施された。同時代後期に活躍した産業デザイナー、クリストファー・ドレッサー(Christopher Dresser, 1834-1904)は、自著『装飾デザインの原理』(1873年)のなかで色彩の項を設け、色彩調和論について多くの頁を割いている。彼が学んだ官立デザイン学校(1863年にNational Art Training Schoolと改称、現在のRoyal College of Art)の教師陣は、主に英国の化学者ジョージ・フィールド(George Field, 1777〜1854)の色彩論を援用して、色彩教育を行った 。ドレッサーもまた、同校の芸術総監督/リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave, 1804-188)が作成した色彩の教科書を称賛し、フィールドの色彩論を引用する 。そして彼が良き色彩の例証として最初に挙げたのが、インドのテキスタイル製品であった。この通り、19世紀後期以降、色彩教育をデザインの実務に応じて取り入れようとする傾向は、同校のロンドン本校や産業都市の地方校のみならず、他のデザイン教育機関でも増加したとされる 。 ドレッサーに関する先行研究においては、しかしながら、彼が著した色彩論について論述したものは殆どない。さらに彼の提唱する色彩調和論が、彼自身のデザイン製品に適用されたのかそうでないのか、同理論がどのような要請のもとにデザイン活動に反映されたのかについても未だ考察されていない。本発表の目的は、ドレッサーのデザイン画および平面デザイン製品を手掛かりに、デザイン教育に適用された色彩論の展開を検討することである。ドレッサーを事例に、官立デザイン学校の系譜に連なる色彩論とデザイン実践の整合性について考える。