第229回 意匠学会研究例会 発表要旨

■ 昭和初期の書物本文組版についての考察
─夏目漱石『吾輩は猫である』再刊本を中心に─
吉羽 一之/千葉商科大学

 大正12(1923)年の関東大震災以降、書物は単行本や全集、文庫本、そして雑誌など、それまで以上に多様な形態で刊行されている。大正14(1925)年、講談社より雑誌『キング』が創刊、昭和元(1926)年には改造社の『現代日本文學全集』が一冊一円で刊行される。改造社の全集は、いわゆる円本ブームの火付け役となり、その後すぐに、新潮社、春陽堂、平凡社などの大手出版社が円本全集を次々に刊行することとなる。また、現在の文庫本の起源とされる岩波文庫は昭和2(1927)年に刊行が開始されている。大衆向け雑誌、円本全集、文庫本といった大量生産による利潤を第一義とした出版形態の一方で、江川書房・野田書房が堀辰雄や芥川龍之介の作品を中心に、造本の美しさを求めた純粋造本と呼ばれる書物もこの時期に刊行されている。
 夏目漱石(以下「漱石」)の『吾輩は猫である』(以下『猫』)は現在でも文庫本や児童書など、様々な形態で刊行され続けているが、その刊行歴を辿ると、初刊本は明治38(1905)年に大倉書店・服部書店から刊行され、その後増刷を繰り返し、明治44(1911)年に縮刷本として、また漱石が死去した翌年、大正6(1917)年に漱石全集の中に組み込まれ、刊行されている。
 多様な出版形態が見られる昭和初期においての『猫』は、漱石全集として、また円本全集として、さらには縮刷本として刊行されていたが、昭和5(1930)年に全集に属さない単行本として再刊本が刊行された。
 本研究は、これらの多様な出版形態の中で設計されている本文組版に着目し、円本全集のように大量生産を目的とした書物に見られる量産型組版と、純粋造本と呼ばれる書物に見られる手工型組版を比較しつつ、これらの両方の組版の中間に位置するであろう『猫』再刊本の本文組版を考察する。


■ 『ウヰンドー画報』『ウヰンドータイムス』に見る大正期の近代広告デザイン
竹内 幸絵/同志社大学

 本発表は大正期の日本で成立していたショーウィンドーの表現を検討する雑誌コミュニティに着目し、黎明期の広告デザイン史を考証するものである。
 大正期は新聞広告の意匠化やポスターによる広告が一部大企業に意識されだした時期である。しかしこれらの印刷媒体はまだ高額で、一般的な商店が利用する視覚広告としては不適格であった。このような時期にショーウィンドーは一般商店にとって唯一の広告であり印刷媒体に先んじたビジュアルメディアとしての社会認知も得ていた。ショーウィンドーの表現にかんする思考を深め拡散する役割を担ったのは、大正4(1915)年創刊の月刊誌『ウヰンドー画報』、大正6(1917)年創刊の『ウヰンドータイムス』である。これらの雑誌には、例えばウィンドー背景の参考資料として後の日本のデザイナーが模範と仰ぐドイツポスター(ルードウィッヒ・ホールヴァイン作)が掲載されている。それは従来の先行研究が、欧米のデザインを最初に日本の商業従事者に紹介した媒体と考えてきた1926年創刊の広告専門誌『廣告界』や、その前誌である1924年創刊の『廣告と陳列』における掲載よりも10年も早い。また同誌には実際に制作された街のショーウィンドー写真が毎号掲載されているが、その多くにウィーン分離派やグラスゴー派からの影響が指摘できる。
 このような大正期のショーウィンドーのデザインは表層的な模倣ではある。しかし欧米の最新情報を直ちに入手し掲載したスピード感と、それを手本としたショーウィンドーを介して全国の庶民の目に届くデザインとなったことを思慮すれば、日本における近代グラフィックデザインの受容過程の検討において看過できない事実だろう。本発表では大正期を中心に昭和戦前期までのショーウィンドーデザインの実態を、上記2誌に掲載された実例およびその後の広告研究誌に掲載された例にも留意しながら考証する。