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第223回 意匠学会研究例会 発表要旨
■ 1930年代フランスにおける壁画の特質と時代的意義
山本友紀/京都嵯峨芸術大学
フランス美術史における壁画の位置づけを再考する動きは、19世紀後半において、「社会芸術」という理想主義的で限定的な 視野のもとで発展をみせたが、第一次世界大戦後から第二次世界大戦が勃発するまでの両大戦間期、フランスにおける壁画制作は、それと は異なる文化・社会・政治的な背景をもちながら広がった。1930年代のフランスの壁画制作は、1929年のウォール街での株価大暴落に端を発する経済危機と政治 的・社会的緊張背景とした芸術の在り方の変動に伴う現実的な問題意識に根付いたものであった。
1930年代、フランスの芸術家たちは世界大恐慌の影響によって深刻 な失業状態に置かれていた状況を受けて、1937年のパリ万国博覧会は芸術家たちの失業対策としての役割も期 待され、芸術家たちの失業問題を打開する有効な手段として、政府の側から多くの壁画制作が発注された。一方で、1930年代の壁画への欲求は、モダニズム芸術の前衛的な実験がもた らした民衆と芸術の間の溝を埋めるため、芸術のあり方を再考する場として注目された。壁画は作品のオリジナリティ、自立性、そして作 家性が見直されるなか、20世紀初頭に自立した新しい絵画のあり方を志向したモダニズム の画家たちは内面からその制作活動を刷新しようとした。
1930年代フランスにおける美術に関する国家主義的動向や社会的役 割の重視を背景として、様々な芸術家、思想家、政治家がそれぞれの思惑を交差させていた状況に関しては、近年、個々の事例の検証がな されるなか、大戦間期における壁画制作についても、パリ万博に関連した事項として言及されてきた。本発表ではこれらの先行研究を視野 に収めたうえで、今までもっぱら1937年のパリ万博に焦点が合わされてきたフランスにおける壁画を 取り巻く言説が、壁画制作が本格化していくまでいかに発展していったか、1930年代という時代状況から捉え直す。そのなかで、とくに当時の 芸術家たちが確立した美術史観や文化的・政治的なイデオロギーを両大戦間フランスの芸術的傾向や周辺諸国の芸術的動向とも照らし合わ せながら、芸術家や美術批評家などがそれぞれの異なる立場から壁画に与えた複合的な意味づけを考察する。
■田中一光≪グラフィックアート植物園≫について
輿石まおり/無所属
日本を代表する美術である琳派は私淑という独特の継承方法でも知られる。尾形光琳(1658-1716)、田中一光(1930-2002)は共に琳派の継承者である。田中一光は琳派への私淑を著書、インタビュー、作品において明示している。 田中一光のポスターはモチーフに関係なく日本を感じさせると評される。しかし広告を本分とし機械による大量生産、複製技術を前提としたポスターは、技術的・経済的側面から琳派に特徴的な技法(垂らし込み、溜め込み、掘り塗り)また琳派を含めた伝統的な日本美術が用いる素材(岩絵の具、金銀箔等)、形態(屏風、襖、掛軸 等)、用途(室礼等)とは係わらない。田中一光は琳派の造形の特徴を挙げて、どんな細部も痩せることはない丸味と豊かさ、トリミングの絶妙を挙げるが、それらは琳派の専売特許ではない。本発表の目的は田中一光が琳派に私淑し継承したものは何であるか、田中一光のポスターが日本らしさを感じさせる理由を明らかにすることである。 考察にあたって田中一光の言説が確認される尾形光琳≪燕子花図屏風≫(十八世紀、国宝、紙本金地著色、二曲一双、各106.0×172.0cm、根津美術館所蔵)と第五十回田中一光展〔グラフィックアー ト植物園〕(ギンザ・グラフィッツク・ギャラリー、1990年4月4日―4月24日)出展作品であるグラフィックアート作品(1990、1030×728、オフセット)を取り上げる。 国内外を問わず様々な研究が積み重ねられてきた琳派であるが≪燕子花図屏風≫について本発表では菊岡沾涼(1687-1746)による光琳画評「…しやうじにうつるかげを見て、かきいだせしものなり。」およ び白崎秀雄(1920-1992)による見解に注目する。そこに田中一光の言説を合わせて検討することで尾形光琳、田中一光双方の制作方法の特徴延いては共通点を考察する。以上から田中一光が私淑した要素そして観者に日本らしさを感じさせる要点は世阿弥が『風姿花伝』で述べる花に係る方法であると述べる。