第214回意匠学会研究例会 発表要旨

■「W.M.ヴォーリズの住宅設計の特色に関する研究 ─関西学院外国人住宅群を事例として─」
神谷悠実/大阪芸術大学大学院

 W.M.ヴォーリズは米国から来日し、ヴォーリズの率いた建築事務所は1910~30
年代を中心に、数多くの洋風建築を設計した。なかでも住宅作品が多く、その実
数は300件近くにおよぶ。
 2011年ー2012年にかけて関西学院外国人住宅群の実測調査に参加した。そして
現状と当初事務所で作成された標準設計図面などをもとに、実施された創建時の
復原設計図面を作成した。関西学院外国人住宅群は1929年に西宮キャンパス創設
時に北側の小道に沿って当初10棟が建てられた。現在9棟が残っており、外国人
教員住宅や共用施設現存している。
 本研究はこれら9棟の住宅相互の比較を行い、設計手法の特色について考察を
行う。本作品はヴォーリズ建築事務所において住宅群を設計するうえでの標準化
や自己同一性の表現などといった具体的な手法の実態を把握できる実例である。
 また9棟に共通する設計内容を確認しその計画的特色を指摘する。ヴォーリズ
は著書『吾家の設計(1923)』『吾家の設備(1924)』の中で住み手にとって健
康で文化的な暮らしが実現可能な理想的な住宅がいかなるものであるのかを述べ
ており、ヴォーリズ建築事務所の円熟期に設計された関西学院外国人住宅群には
その思想が良く表れていると考える。さらにヴォーリズ建築事務所における住宅
作品一般の標準設計および多様性表現方法について幅広く考察すために、ニュー
ヨークシティ銀行大阪支店の4棟の行員住宅群(1929年竣工)との比較を行う。
 以上のように本研究は具体的な設計事例をもとにして、ヴォーリズ建築事務所
における設計の実態や設計思想の実現方法を明らかにするものである。ヴォーリ
ズ建築の研究を作家論のレベルから制作論のレベルまで前進させるための一助と
したい。



■「GHQ 日本占領関係資料から見る戦後日本繊維産業の復興 ─日本の服地プリントデザインの黎明期─」
牧田久美/京都市立芸術大学

 戦後GHQの積極的なリードで推し進められた日本繊維産業の復興は、当局の矢
継ぎ早な改革によって当初の目標を確実に達成して、日本経済復興の基幹産業へ
と成長していった。
 敗戦当時、戦時中の重化学工業への偏重で繊維産業は極めて縮小していて、そ
の輸出額は22億1900万円と落ち込んでいたが、米国の対日占領が一応の終焉と
なった1952年には7889億2000万円と実に356倍となり、全21産業中 1位で18%を
占めていた。
 このような国際市場への突出した進出は各国との摩擦を生み、特にこの時期、
繊維産業の世界市場制覇を目指していた英国との間では、意匠盗用なども係わっ
た深刻な外交問題へと発展していった。しかし日本を実質単独占領していたGHQ
にとって、各国への賠償問題や日本の自立を含む経済的復興は最優先問題であ
り、日本の繊維産業の貿易利益は本国からの至上命令でもあった。
 この間の日英米の複雑な事情は 1974年に秘密指定解除され1981年から1992年
にかけて日本の国立国会図書館が、米国国立公文書館でマイクロフィルムとして
撮影したGHQの日本占領関係資料
 ・Textile Designs, 1947/01-1951/03.
 ・Photo- Textile Designs, 1951/03-1951/03.
 ・Textile Mission-British American Textile Group, 1949/12-1950/05
から具体的に読み取ることが出来る。これは日本の戦後テキスタイルデザインの
成立と発展の過程を明らかにする上で重要な内容と考えられる。
 また1947年の貿易再開直後の輸出向け布地デザインなども合わせて紹介したい。