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第206回意匠学会研究例会 発表要旨
■「エチオピア・アムハラの織布」 板垣 順平/大阪芸術大学
今日のエチオピアは、急激な経済発展を遂げようとする開発途上国のひとつである。 首都アディス・アベバ(Addis Ababa)には高層ビルが多く立ち並び、行き交う人びとも携帯電話を 片手に、ジーンズやシャツなどの欧米スタイルの衣服で闊歩している。その一方で、土器や鉄製品、 革製品、織布などの手工芸の製作を生業とする人びともいる。なかでも、織師(A/Shammane)たち のつくる木綿製の織布(A/Shamma)は、真っ白で透けるように薄く、現代にあっても尚、多くの人 びとのあいだで重要な衣料として用いられている。 発表者の研究対象は、エチオピア北西部のアビシニア高地一帯にかつて住んでおり、現在では全土 に居住している民族集団アムハラである。エチオピア北部の各地に建立された正教会系キリスト教会 や修道院に多くに描かれたイコン画には、かつてのアムハラの人びとの織布の様相が残存している。 また、16世紀以降には、ヨーロッパから派遣された使節団や旅行家たちが当時のエチオピアを廻り、 その際に著した旅行記『エチオピア王国誌』[アルヴィレス 1980(1540)]や『ナイル探検記』 [ブルース 1993(1790)]などにも、織布の利用方法についての記述が見られる。 こうしたエチオピア北部で古くから利用されてきたアムハラの「織布」は、現代でもアムハラの織 師たちによって製作され、日常着や教会への参詣などに広く用いられており、人びとの生活に深く結 びついている。しかし、エチオピアの織布に関する研究は今なお少なく、一部の研究者のあいだで僅 かに取り上げられる程度にとどまっている。 そこで、本発表ではこうしたアムハラの織布の歴史を概観するとともに、その機能的要素と装飾的 要素を検討してアムハラの人びとの織布に対する価値観や意識の在り様を考察したい。
■「ヴフテマスのデザイン教育(1) ―もう一つの「労働者クラブ」― 谷本 尚子/大阪人間科学大学
十月革命の後、ロシアでは社会的技術的文化的発展を促進するために、デザインという概念が 形成された。言い換えれば、デザインの社会的役割が強調され、破壊された国家の経済を復活さ せる使命が、アヴァンギャルドの芸術家達に課せられた最優先事項であった。こうした状況下で 1920年にモスクワに設立されたのが、国立高等芸術技術工房ヴフテマス(Вхутемас, 1920-27)で ある。1926年以降ヴフテマスはヴフテイン(Вхутеин, 1926-1930)と名前を変え、より 産業よりのデザインを指導したといわれている。今回、このヴフテマス―ヴフテインの家具及び インテリアデザインについて取り上げ、ロシア構成主義のデザイン教育及び実践について考察す る。その際、注目したいのが、ヴフテマスの初期の木工学科/デルファク(Дерфак)で指導 していたA. M. ラヴィンスキー(Антон Михайлович Лавинский, 1893-1968)である。 デルファクのデザインは、伝統的な様式と構成主義との折衷を見せていた。さらに1923年に は木工産業の質の高いオーガナイザーや製品の構成者(デザイナー)、つまり 「技術者=芸術家(Инженеры искусства)」を養成する目的で、大量機械生産の 原則を導入した。1926年以降、木工学科と金工学科が合併し、デルメトファク(Дерфак)が 設立される。金工学科からA. M. ロトチェンコ(Александр Михаилович Родченко, 1891-1956)がデルメトファクに参加し、造形理論の面からカリキュラムを再編成する。 以上のような変遷を捉えつつ、ヴフテマス/ヴフテインのインテリア教育における機能主義の特 徴について考察し、それが構成主義の理論に基づいたデザインであったことを明らかにする。