第203回意匠学会研究例会 発表要旨

■「明治・大正期における清国市場向け日本陶磁器とその意匠について」
前崎 信也/立命館大学 グローバル・イノベーション研究機構

 日本陶磁器の発展は古来を通じて大陸と深い繋がりをもってきた。須恵器は朝 鮮からの技術の伝播があったとされているし、より顕著な例としては奈良三彩な どが挙げられるだろう。日本陶磁史はこのように中国陶磁器の技術発展の後を追 うように展開をしてきたともいえる。しかし、歴史上たった2度、日本陶磁器が 中国磁器を凌ぐほど大々的に海外に進出した時代がある。17世紀から18世紀に生 産された肥前の輸出磁器、そして、1858年の開国から20世紀初頭の日本陶磁器の 時代である。
 本発表が注目するのは後者にあたる明治・大正期にかけて世界の陶磁器市場を 席巻した日本陶磁器である。先行研究では、特に近代陶磁研究、ジャポニスム研 究、万国博覧会関連の研究において、明治期の陶磁器産業がいかに近代化・西洋 化を果たし、欧米で享受されたかを解明することに重点が置かれてきた。しかし ながら、西洋向け輸出に注目するあまり、特にアジア諸国を中心とする、欧米以 外に向けた陶磁器輸出については未だその実態が殆んど解明されていない。
 日本の中国向けの陶磁器輸出は開国以前から長崎の唐人屋敷を経由して行われ ていた。それが1873年の日清修好条規の発行により輸出額が急激に伸張すること となった。そして、1880年代には日本陶磁器の輸入において清国は米国に次ぐ第 2位の輸入額を記録しているのである。しかしながら、この中国向けの日本陶磁 器の実態についてはこれまでほとんど注目されることはなかった。
 本発表では明治期の日本陶磁器輸出を清国との関係から論じ、明治期の日清間 の陶磁交流を各方面の統計資料・歴史資料などを用いて考察する。特に中国向け の日本陶磁器にはどのような意匠が用いられたのかに重点を置き、その種類・特 長について明らかにする。



■「芸術における周縁的なものと人間の生─「限界芸術」の概念を手がかりに」
三木 順子/京都工芸繊維大学

 芸術は古来から、作品の在り方に即してさまざまなジャンルに区分されながら 論じられてきた。芸術の在り方を人間の実生活との連関において考えるとき、ま ず思い浮かぶのは、「純粋芸術 fine art」と「応用芸術 applied art」という 区分であろう。純粋芸術は、生活とは別の次元における自律した価値を第一義と する。これに対して応用芸術は、生活において実用的に、実践的に、具体的に適 用されうることにこそ、まずもっての特徴をもつ。
 だが、20世紀にはいって以降、両者の区分は極めて不明瞭なものとなる。モリ スが、応用芸術の芸術性のなかに、生活や社会を向上させるユートピア的性格を 求め、バウハウスにおいて、生活や社会の工業化と連動した応用芸術の近代的な テクノロジーに、芸術そのものを刷新する力が認められて以降、純粋芸術と応用 芸術を厳しく区別すること自体に、もはや大きな意義はみいだされなくなった。 さらに、大衆化しサブカルチャー化する現代アートのなかには、われわれの生活 と社会を規定する消費と資本のメカニズムにあっけらかんと則って、高価な製品 として流布することを意図するものも少なくはない。
 しかし、近年のこのような芸術の在り方の変容を、即、芸術全般と人間の実生 活との近似や相互浸透などと結論づけるのは、あまりに表層的であろう。なぜな らば、人間の生の在り方そのものもまた、変容を繰り返し、けっして自明の事柄 ではなくなっているからである。その限りにおいて、より根本的な次元における 芸術と人間の生との連関を改めて考察することは、今日、一定の意味を持つよう に思われる。だがその際、芸術の「実用性」に実生活との接点を認める従来の ジャンル論や、芸術を人間の生の直接的な表出とみなす、生の哲学の抽象的な思 想だけでは、もはや十分とはいえまい。まず必要なのは、芸術と生が変容を重ね る以前の、その原初的な在り方から、両者の連関の必然的な現象を具体的に探り だすことであろう。
 本発表は、以上のような問題意識のもとに、鶴見俊介の「限界芸術」の概念を 手がかりとしながら、従来、純粋芸術の対極に位置するとみなされてきた応用芸 術や芸術の大衆化やサブカルチャー化といった領域を超えでて、芸術のもっとも 周縁に位置する事象をあぶり出すとともに、そこに、根本的な次元における芸術 と生との連関のひとつのモデルをみいだし、その意義とアクチュアリティを問う ことを目的とするものである。