第210回意匠学会研究例会 発表要旨

■「1950年代の海外展における日本デザインのディスプレイとそのコンセプト」
寺尾藍子/石川県輪島漆芸美術館

 戦後の日本がようやく輸出を再開したのは1947年(昭和22)のことである。 生活も経済も失った日本にとって、外貨の獲得は何よりも優先すべき課題であった。 当然のごとく、通商産業行政によって輸出振興政策が推進されることになる。民間の 企業がいまだ立ち直る気配のない当時、その主導的な立場を担ったのが、工芸指導所、 のちの産業工芸試験所(以下産工試と表記する)であった。
 1950年代の産工試は研究の成果を発表する国内展示において、インダストリアル デザインの啓蒙活動を精力的に展開した。同時に、相次ぐ海外での見本市や展示会を とりわけ重要視した。経済再生の主眼は依然輸出額の拡大にあり、産工試は大量生産を 前提とした製品の開発とそのプロモーションを引き受けていたのである。産工試の デザインチームが手掛けた海外展には、ディスプレイの手法獲得までの試行錯誤を 見て取ることができる。この中には他の参加国から高い評価を得たすぐれたディス プレイも含まれていた。1958年(昭和33)ブリュッセル万国博覧会における日本館の グランプリ受賞は、この時期の成果の証である。本発表ではこれらの海外展を中心に、 モダンデザインにおける独自性を模索した過程に着目する。また、日本のディスプレイ デザインが欧州諸国に初めて披見され、高い評価を受けることになった、1955年の スウェーデン国際建築工業デザイン博覧会(通称H55)に焦点をあてる。
 剣持デザイン研究所所長松本哲夫氏へのインタビューのほか、現地での調査成果を 報告し、この展示の全体像を明らかにする。



■「抽象絵画と近代技術――心性の変容の造形的反映の観点から」
秋丸 知貴/日本美術新聞社/京都大学こころの未来研究センター共同研究員

 本発表は、近代技術が抽象絵画の成立にどのような影響を与えたのかについて、 心性の変容の造形的反映という観点から多角的に分析する。
 基本的に、生来的身体と天然的自然に基づく「自然的環境」(ジョルジュ・ フリードマン)では、技術は肉体の連続的延長であり、動力は天然自然力に依存 しているため、人間は環境に物理的に内包され織り込まれていた。従って、自然的 環境では、人間と外界の関係は密接的で沈潜的であり、その知覚は持続的で充実的 であった。この自然的知覚を必須的前提として成立したのが、自然主義的なルネサンス 的リアリズムである。なぜなら、その緻密で具象的な再現描写には、対象との濃密 で没入的な感情移入的相互関与が経験上不可欠だからである。これに対し、「有機 的自然の限界からの解放」を特徴とする「近代技術」(ヴェルナー・ゾンバルト) が日常生活の様々な場面で主体と客体の間に介入すると、主客の自然な心身的相互 交流は現実的に阻害され、主体の「感覚比率」(マーシャル・マクルーハン)は 捨象的に変更される。そのため、こうした脱自然的=近代技術的環境では、自然 的知覚が衰退し、次第に絵画表現では、従来の主流である静態的・三次元的・ 具象的なルネサンス的リアリズムは妥当性を喪失し、動態的・二次元的・脱具象的 な抽象造形が勃興することになる。
 例えば、鉄道・自動車・飛行機等の移動機械による車窓風景における感覚刺激の 加速的過剰化は、「注意散逸」(ヴァルター・ベンヤミン)と「パノラマ的知覚」 (ヴォルフガング・シヴェルブシュ)により、主体の自然的知覚を減衰させ、様々 な視覚的歪曲を加味する。また、こうした移動機械は、電信・電話・無線・ラジオ・ X線・写真・映画・蓄音機等の伝達機械と共に、事象の自然な継時性や土着性を撹乱 し、主体の一点透視遠近法的な時空間意識を崩壊させる。さらに、ガラス建築や ガス灯・電灯等は、光の均一性と強烈性により主体の自然的知覚を眩惑する。 そして、写真は、客体の外観のみを凝固像として転写することで、客体の原物性や 主体の共感性を欠落させ、究極的にあらゆる写像を抽象模様と感受させる。こうした 近代技術による心性の変容が、人間の身体能力の関数である「象徴形式」(エルン スト・カッシーラー)を、特に「イデア」に先行する「イコン」(ハーバート・ リード)としての造形芸術を革新したことを実作品と関連証言から検証する。