第238回 意匠学会研究例会 発表要旨

■ ロンドンのポスターデザインに見る悲劇の表象の変遷
山本 彩/京都工芸繊維大学

 悲劇は古代ギリシャ時代まで遡ることができる、長らくヒトを引きつけてきた舞台芸術形態である。舞台だけにとどまらず、映画、テレビドラマなどの分野でも様々な悲劇的作品が生み出され、好んで消費されてきた。ロンドン演劇産業においても、悲劇は重要な演目であり、様々な演劇母体がハムレット、オセローなどの有名な古典作を繰り返し上演している。
 このように人気のエンターテインメント商品でもある悲劇について、どのような表象が消費者に提示されてきたかを見ていく。具体的には、売り買いの場で取り沙汰されるイメージである演劇ポスターについて、代表的なものとしてロンドンで上演されるシェイクスピア悲劇のポスターデザインの分類、分析を行う。演劇ポスターはロンドンにおいては16世紀末から記録があるメディアであり、近年でも多くの劇場がロンドン地下鉄の駅にポスターを掲出している。各劇場のアーカイブや、ヴィクトリア&アルバート博物館の演劇アーカイブの資料を元に、1960年代以降の制作物について、グラフィックデザイン表現手法の分析を行う。その歴史の中で、伝統的芸術表現の引用も多く見られるが、科学技術の発展やアートディレクターのシステムの形成などのポスター制作工程における変化、社会的問題の変化などに伴って、描かれる内容やビジュアル表現は変化してきていると考えられる。
 これらの点を通して考察することで、悲劇という形態のビジュアルコミュニケーションにおいて、提供者が悲劇のどのような側面をうち出そうとしているのか、消費者がどのような要素を求めていたのかが浮かび上がるのではないだろうか。



■ 迎田秋悦の創作活動における複製制作の意義
下出茉莉/京都工芸繊維大学

 本発表は、蒔絵師・迎田秋悦(1881-1933)の創作活動における複製制作の意義について検証するものである。
 明治以降、漆工芸の制作は、精巧な技術より型にはまらない革新的なデザインが重要視される傾向にあった。海外への輸出事業や産業工芸の振興を念頭においた方針がとられ、伝統的な蒔絵の施された漆器は、時代錯誤の品物として近代の評価軸からはずされるようになった。「美術工芸」の分野の確立に向け、当時の工芸家等により工芸品を純粋美術に近づけるための様々な努力を行われてきた。また、展覧会において工芸家の名前が表に出されるようになったことは、工芸家に作家性の意識を芽生えさせる契機となり、「創作」によって作家個人としての個性が評価されることの意識を根付かせる結果となった。
 迎田秋悦は、図案家であった神坂雪佳(1866-1942)の影響を大いに受けていたことから、琳派や古典的な漆芸に深い見識を持った蒔絵師として知られ、秋悦の蒔絵の技量は大正初期にはすでに認められ評価の対象となっていた。昭和2年(1927)の第8回帝国美術院展で発表された≪玉蜀黍厨子棚≫は、秋悦の図案を駆使する制作の姿勢をよく表した作家の代表作品として位置づけられる。その一方、秋悦は鶴岡八幡宮の《籬菊螺鈿蒔絵硯箱》や本阿弥光悦による《舟橋蒔絵硯箱》などの複製作品を残しており、過去の作品から蒔絵の技術を学ぼうとする姿勢が見受けられる。
 迎田秋悦のこのような姿勢は、時代に即した新しいものが求められる中でも日本固有の文化として成立してきた漆芸が「民族性工芸」であることを忘れてはならないと言及していることに象徴されており、このことから迎田秋悦による複製制作は、各時代を代表する作品から先見性を学ぶための習作であったことが指摘できる。
 本発表では、大正から昭和初期にかけての迎田秋悦の言説を手掛かりに、秋悦の蒔絵観を明らかにしたうえで、秋悦の創作活動における複製制作の意義について検証する。