第228回 意匠学会研究例会 発表要旨

■ 京都市立陶磁器試験所における西洋釉薬の研究と応用
―事業報告を手掛かりに―
上村 友子/京都工芸繊維大学大学院

 本発表は明治後半から大正にかけて京都五条に設置された京都市立陶磁器試験所(以下、市立試験所)の事業、とりわけ釉薬に関しての考察を行う。
 市立試験所は、陶磁器産業の振興を目的に設立された我が国初の陶磁器研究機関である。開設から国立へ移管する明治29(1896)年から大正7(1918)年まで、製陶技術や機械導入についての指導のほか、原料やデザイン刷新の研究も行われた。中でも科学者と製陶業者によって進められた製陶技術の試験は、諸外国から受容した新しい原料の研究と応用であった。
 しかし、市立試験所で所有されていた図書や研究成果である試作品などは度重なる移転や発展的解散により、その多くが失われている。加えて、国立移管以前の研究内容に関する論文や報告書類も現在は確認できない。
 開国以降、大量に外国製陶磁器を模した製品が日本から輸出されたことを鑑みると、輸入釉薬の応用による釉薬技術の発展がめざましかったと考えられる。現在に残された市立試験所時代の資料によると、事業報告として記された『京都市立陶磁器試験場業務報告書控、明治30年度–明治42年度』の試験内容から試験は成形着書釉薬に関する内容が割合として最も高く、『本場創立沿革答申書』から所有していた原料、彩料、釉薬類は内国産のものより外国産のものの方が多い。国立移管後の試験内容は論文や報告書として残されており、その内容は日本古来の製陶技術を科学的に文章化した内容と言える。西洋釉薬の扱いやその種類について、一つひとつの報告書を見ることはできないのは、技術が先行し科学的な研究概念が開国以降に発達した日本において、市立試験所の時代は学問的な記録よりも即物的な西洋技術の受容とその応用の期間であったためと考えられる。つまり、私立試験所の初期の段階において、主として勧められた事業が釉薬に関する研究、とりわけ西洋の原料や彩料、釉薬の試作や使用方法に関する内容に比重がかけられていた可能性が高いと言える。


■ 「ウィリッツ」型平面と「ヒコックス」型平面の住宅について:
ライトの住宅作品における多様性生成システムの研究(その1)―
水上 優/兵庫県立大学

 本研究の目的は、自然と人間の共生を志向的に実践した建築家フランク・ロイド・ライトの建築制作の在り方を「多様性生成システム」と名付けて注目し、彼の全住宅作品を研究対象として採り上げ、図式を用いた独自の分析方法、すなわち住宅の幾つかの「型」を抽出し、その内的多様性を明らかにしつつ、「型」相互間の同一性と差異性を考察することによって、彼の住宅作品の連続性をいわば生物学における種の樹形図のように、系統的かつ実証的な姿で明らかにすることを通して、その意味を問うことである。別言すれば、『一からの多』『多様性の統一』
という自然の在り方に倣う彼が、『1つの原理(イデア)から生じる無限の多様性』と自ら称する建築制作の事態の内実とその意味を,解明することである。  本発表では,プレイリー・ハウスの時期に指摘される幾つかの「型」のうち、「ウィリッツ」型と「ヒコックス」型の住宅作品の展開を分析する。これらの型は、主階の構成要素が「玄関―居間―食堂―台所―階段室―玄関」のループを形成する繋がり方(繋がり❶)に属す。「ウィリッツ」型は居間と食堂が室平面の隅部で接して流動的な連続的空間を志向するものであり、「ヒコックス」型は居間と食堂および書斎がほぼ一直線上に連続しつつ1つの大空間を志向するものである。先ず両型が,同様に繋がり❶に属しプレイリー・ハウス最初期のオークパークの自邸に見られる「自邸」型から生成してくる事態を、1901年の「レディース・ホーム・ジャーナル」誌に発表された住宅案に着目しつつ明らかにする。続いて、両型の住宅の展開におけるデザイン的差異に着目し、連続する諸室の「区別―結合」の事態の多様性を分析する。