第220回意匠学会研究例会 発表要旨

■倉俣史朗のデザイン――幼少期の記憶という視点から
橋本啓子/神戸学院大学

 1960年代から90年代にかけて商業インテリアとプロダクトの分野で活動した倉俣のデザインに関しては、これまで既存のデザインのあり方を問い直す「知的操作」の側面が専ら評価されてきた。これは、批評家の多木浩二が、脚部が大きな「ばね」で出来ているために座ると不安定な《スプリングの椅子》(1968)を、椅子の機能である「安定感」を逆説的に提示したものとして賛美したことに拠る。しかし、倉俣自身は「知的操作」を行ったという意識は薄く、むしろ彼が子どもの頃、空井戸の底から見上げた青空の記憶や、かくれんぼをした押入れや洋服ダンスの内部の記憶等、幼少期の記憶こそがデザインの発想源になっていると言う。この幼少期の記憶という源泉は、おそらくは倉俣の個人的なノスタルジーとしての意義しか与えられなかったためにこれまで等閑視されてきた。  だが、600点を超える彼の作例のうち「知的操作」の所産とみなせるものは僅かであり、多くは「虚構的」「詩的」なデザインとして評価されてきている。とはいえ、それらがどのような構造によって虚構的・詩的性格を有するのかについては本格的に議論されたことがない。虚構的・詩的性格が、幼少期の記憶によってもたらされたのであれば、議論の欠如は彼の幼少期の記憶をきわめて個人的な、客観的意義を欠いたものとして軽視したことに拠るだろう。そこで、本発表においては、倉俣のデザインにおける彼の幼少期の記憶の具体的な反映を検証するとともに、その記憶が彼の個人的感覚に留まらず、人間の原初的な感覚としての普遍性を有するがゆえに大人の目に虚構的・詩的なものとして映る可能性を児童学・教育学・心理学・美術史学の理論を援用して考察することを試みる。



■スイス・デザインの100年 ―グラフィックデザインを中心に―
今井美樹/大阪工業大学

 2014年は日本スイス国交樹立150周年にあたり、双方で年間を通して日本=スイスの交流に関するさまざまな企画が催されている。2015年1月に東京で開催予定の「スイス・デザイン展」もこれを記念する展覧会のひとつである。  一方、スイスでは、1913年設立のスイス工作連盟の100年を振り返る「100 Jahre Schweizer Design (100 Years of Swiss Design)」(チューリヒ造形美術館)や、第一次世界大戦勃発100年を節目とした「14/18, Die Schweiz und der große Krieg(スイスと世界大戦)」(スイス国立博物館)といった展覧会が開催されており、自国の文化やデザインを検証する契機となっている。  スイスの工業デザインに対する自覚は19世紀末に伝統的な木工芸の機械生産に始まり、20世紀になってドイツ工作連盟を追随するかたちで欧州各国に認められるようになった。山岳地帯の厳しい環境も交通網の充実により観光産業となった。これらに産業史上を揺るがす程の画期的側面はないものの、1980〜90年代には、swiss made(swissness)のブランドとして知られるところとなっている。グラフィックデザインの分野では、1910〜20年代の欧州各国の前衛的な美術・デザインの運動における視覚表現の特徴が、1950年代にスイス・スタイル(国際タイポグラフィック様式)として、グラフィックデザインのスタンダードを確立し、この時期のサンセリフ書体の開発やグリッドシステムの理論化は、今日のコンピュータによるデザイン制作の概念に不可欠な要素になっている。  本発表は、国内で開催予定の「スイス・デザイン展」の企画協力に際して、「スイス」「デザイン」というキーワードから得られる一般的な印象を踏まえながら、チューリヒとバーゼルの視察によって得られた情報を加えて、グラフィックデザインを中心に考察した、スイス・デザインの20世紀の概要を報告する。