第217回意匠学会研究例会 発表要旨

■金沢モダニズム-1932年金沢市主催「産業と観光の大博覧会」と『モダン金澤』を例に-
小川 玲美子/金沢美術工芸大学

モダニズムの興隆していた昭和初期には大都市のみならず、地方都市においても博覧会開催が
盛んに行われていた。1925年の世界恐慌に端を発する金融恐慌の中で、全国各地では産業不振
からの地域の再生を博覧会に求めており、金沢市においては1932年4月12日より
「産業と観光の大博覧会」が開催された。現在でこそ「観光都市」として名を馳せている
金沢市であるが、「観光」が一般に及び始めた明治以降、旅客は太平洋側の表日本に集中しており、
その足は日本海側裏日本までは延ばされなかった。金沢市でも明治~大正にかけて観光産業に
積極的だったとは言えない。しかし昭和初期の金融恐慌の中、歳入の大部分を占めていた
輸出羽二重が不振に陥ると、市行政は繊維産業主体の経済構造からの脱却を目指し、裏日本の
一都市である金沢を「観光」都市として再生させようとし、鍵となったのが本発表で取り上げる
「産業と観光の博覧会」だ。行政として新たな事業を展開していく際、全国にこれを知らせるには
博覧会は絶好の機会でもあった。金沢市が新たな都市として生まれ変わる意志は、
博覧会パビリオンにアール・デコや構成派などの当時流行のデザインが採られていることからも伺える。
また建築物のみならず博覧会ポスター、絵葉書、あらゆるメディアに先進的な意匠が使用され、
博覧会は当時の最先端のデザインを紹介する場所となった。そしてこの博覧会を契機に街では
洋式ホテルの建設、モダンガールのバス車掌の登場等の近代化が促進された。この博覧会は行政の
行ったモダニズムと言えるが、実際に金沢の町に生きる市井の人々は町の近代化を
どう見ていたのだろうか。市民によるモダニズム興隆の過程は当時のタウン誌、『モダン金澤』の
言説を通して考察する。雑誌『モダン金澤』は当時の大衆文化の代表である映画・カフェーについての
街のモダニストたちの率直な意見が記載されており、市民の声を探ることができる。
本発表では昭和初期において行われた行政と民間のモダニズムの相違点、共通点を探ることにより
1930年代の地方都市文化を検討する。



■祇園祭・大津祭伝来の花鳥獣文様染織品-動物入の絵画的構図を中心に-
吉田 雅子/京都市立芸術大学

中国で明清時代に製作された花鳥文様の刺繍と綴織が、日本に複数伝来している。その多くは、
京都を中心とする山鉾町や社寺に、祭礼幕や打敷、掛布等の形で保管されている。また、類品が、
欧米の博物館に数点入っている。
これらの作品は大きく3つの構図に分けられ、それぞれ用途が異なっている。第1は、絵画と
同様な構図で、これらは主に中国国内での使用を念頭に製作された。第2は、第1の構図に動物の
モティーフを加えたもので、これらは輸出向けに製作された可能性がある。第3は、中心に
メダリオンを、周囲にボーダーを配す構図で、これらは欧州人むけに製作された。
発表者は今まで第3の構図の作を中心に調査し、この図様がインド、アンデス、ヨーロッパに
広がった国際様式であることを指摘した。しかしこの様式がどのような原型から発展したかを
明らかにするには、第1・2の構図の作の調査が不可欠である。しかし、祭礼品の調査は条件が
難しく、今までなかなか実現しなかった。
幸い、近年これらの祭礼品を調査する機会を得たため、本発表では、祇園祭と大津祭に残る
第2構図の花鳥文様の刺繍と綴織を中心にとりあげたい。これらの作は使い古されていて、
原型がはっきりわからない。そこで、作品の原型を推定する。そして、これらの作がどのような
位置づけにあるのか、第3の構図とどのような関係にあるのかを考察する。
日本の祭礼町に伝存するこれらの作品は、ヨーロッパ、インド、アンデスなどで作られた作品
と遠くで結びついていること、これらは世界でも貴重な作例であることを指摘したい。