第216回意匠学会研究例会 発表要旨

■知的障害児との共同作業によるアート・ワークショップ
島先京一/成安造形大学

私の最近の関心は、障害者福祉や障害学と芸術学や意匠学を結びつけることに向けられている。
今回の発表では、私の活動の柱の一つである、知的障害者を対象としたアート・ワークショップ
における、障害学的理論的背景と意匠学的な狙いについて、現代美術から受けた示唆を絡めながら、
考察を行う。
障害学の基本的な理念の一つに、障害の社会モデルと呼ばれる概念がある。これは、障害の起源を
個人の身体的機能欠損に求めるのではなく、社会環境や社会制度の不整備に求める考え方である。
障害の社会モデルは、身体障害の多くに対して新しい知見や問題解決の方向を与え得る、有効な
思考法である。
しかし知的障害および知的障害者を、社会モデルの枠組みにおいてどのように捉えるのかは、障害学
においても方向性の見えていない、難問である。身体障害者と異なり、知的障害者にあっては
インペアメント(機能欠損)とディスアビリティー(障害)の関係が不明瞭な場合が多く、単に
著しく能力の劣った人びととして一括され、周辺化されてしまうことが圧倒的に多い。だが
知的障害者は、間違いなく私たちの社会を構成するメンバーなのである。
私の知的障害児を対象としたアート・ワークショップは、彼らと一般の平均者が気軽に、しかも
楽しく出会える場を提供することを第一の目的としている。そして知的障害児と平均者の境目を
できる限り無意味化するために、能力主義的な観点をできる限り排除することを心掛けている。
そして能力主義の排除の実現のために、現代美術の方法論のいくつかが有効な示唆をもたらしてくれる。
そのような方法論の第一は、対象や方法の脱文脈化およびその結果としての無意味化である。
無意味化された対象や方法は、知的障害児と平均者に向けて、等しく無意味になる。第二は、
スケールの巨大化による個人の技能差の無意味化である。第三は、分業の境界を不可視化した
共同制作による、共犯的悦楽の達成である。アート・ワークショップ参加者全員の満面の笑みに、
思いを馳せていただきたい。



■扇面散図屏風について――近世京都狩野派の合同作品
田中敏雄/大阪芸術大学

 狩野派は始祖の狩野正信以来、元信、松栄、永徳、光信等、京都を中心に活動していた。
しかし、江戸に徳川幕府が生まれてから、狩野派の主力は江戸に住まい、屋敷を幕府から拝領した。
徳川幕府の幕藩体制に組み込まれ、徳川幕府の御用絵師となって江戸で活動した。一方、狩野永徳の
弟子であった狩野山楽は諸事情により、江戸へ赴かず、京都に残って活動した。その画系が京狩野と
称されて、幕末の狩野永岳まで続いた。
 京都から江戸に赴いて、徳川幕府の御用絵師となった狩野探幽は江戸狩野の成立の立役と
なって組織を盤石のものとした。その弟子であった鶴沢探山が京都に出て、京都で江戸狩野
(鶴沢派)として活躍し、京狩野に伍して幕末まで画系が続いた。もうひとつ京都で活躍した
狩野系の画系で山本家(派)がある。この画系は尾形光琳の師とされた山本素軒を出している。
 今回、資料紹介したく思う作品は現在、屏風に仕立てられている扇面貼文屏風である。
この屏風に京都の狩野派の画家達の扇面の作品が貼られている。それらは京狩野系、鶴沢系、
山本系の各学派のものである。今まで、京都の狩野派については縦割りで、各学派ごとに研究
されることが多かったが、今回の資料紹介では京都狩野派の合同作品を通して、京都狩野派の
横とのつながりについて考察を試みたい。